January 2012
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January 2011
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石の文明
ポンデュガール。南仏アヴィニヨン郊外にローマ人が建造した水道橋である。橋というよりは道という印象が強く、映像で見返してはじめてその大きさを実感できる。
こうした建造物が2000年前から残っているのを目の当たりにすると、様々な改修が行われているにせよ、石の文明のもつ持続力を痛感させられる。とりわけ、宗教的なモニュメントでもない、実質的な要請で残されてきたものが残っていることの意味を考えるとき、欧州の人々の底にある歴史意識の一端に触れたようにも思える。
December 2010
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November 2010
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em
わたしたちは計画のなかにいる。あれやこれやの予定、その次の、そのまた次の、そしてまた次に実現されるべきことのなかに。
日常は強固なものだ。村上春樹は『アンダーグランド』のなかで、オウム真理教による地下鉄サリン事件に巻き込まれた被害者たちが、牛乳を買ったり、会社に向かったりという、些細で日常的な行動によって不条理とのバランスを取っているようだったと書いている。
多かれ少なかれ、普通のひとにとって、信頼するに値する日常は不可欠なものだ。毎日が新たな行為で成り立つような不連続性に耐えられる人は多くない。耐久性を持っているように見える一部の人間にも、やはりそうした不連続な生活を支えるものが存在するだろうと思う。
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October 2010
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切る
綺麗なものを綺麗に撮るのは、とても退屈。その逆もやっぱり退屈。目の前にあるもののなかに余計なものを読み取らないこと。
特別な
ある風景を特別なものにしているのは、そこにある物の配列ではなく、その風景を生み出してきた人々の求めていたものだ。
何でもかんでも
すべてを一枚の画におさめようとすると、何も収まらない。
不写の写
カメラをよく使うからといって、一般的に「良い」とされる写真の趣味に対して開かれていたとしても、視覚が鋭敏とは限らない。そうだとしても視覚に対するのと同じ程度の鋭敏さを他の感覚に振り分けているかといえばそんなことはないだろう。
自分の感覚ほど当てにならないものはない。テクニックを駆使して狙った通りに写真を取れるように訓練するのは趣味としては良いのだろう。自分としては、そうしたことには興味はないし、作為なく撮ったものに見たものが写っているというのが一番良いと思っている。そのなかでカメラの存在も別に忘れ去られてもいいんじゃないかと思う。
アンチパターン
美しいものはどこか類型的なものを孕んでいて、視覚的に一定の効果をあげるには幾つかのパターンの組み合わせでそこそこいけるのではないかと思う。それを掘り起こしはじめるとキリがないだろうから、それよりは一定のパターンでひたすら撮り続けることが肝心なのかも知れないと思うようになってきている。
September 2010
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走りのなかの迷宮性について
『Born to Run』という本を読んだ。
100キロを走破するウルトラマラソンに突如現れ、優勝を攫っていったメキシコ奥地に住まうタラウマラ族の探求と、現代のハイテクシューズの弊害と人間の足の機能に関する研究を柱としたルポルタージュである。
タラウマラ族がウルトラマラソンに参加する経緯や、彼らに魅せられ共に生きている男の物語は、単純に読み物として面白い。一方でナイキなどの大企業が靴を売るためにその機能を強化することが、人間の足が本来持っている機能を発揮することを阻害し、結果として足底筋膜炎などの重度の怪我をもたらしていることを証だてていくプロセスも興味深い。
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